「根拠に基づいた政策形成」には行政データの活用が鍵

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 前回前々回に続き、「根拠に基づいた政策形成(EBPM)」の話。

 より良い政策を行うためには、質の高い政策評価・プログラム評価が欠かせない。これから行おうとしている政策がどんな成果(とひょっとしたら副作用)をもたらすのか、できるだけ詳しく知ることは、質の高い意思決定につながるためだ。

 こうした認識は欧米の政策担当者に共有されており、「根拠に基づいた政策形成」(Evidence-Based Policy Making, 以下ではEBPMと略)の流れは日本でも少しずつ取り入れられてきているようだ。

 日本におけるEBPMの導入にはいくつも課題があり、私も過去にこちらのインタビューで詳しく答えている。

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データ=政策評価ではない

 EBPMを行う上で、データの存在は大前提であるが、データがあるからと言って直ちに質の高い政策評価分析ができるわけではないということを前回のブログポストでは指摘した。

 データの存在だけでなく、ある種の「実験」が必要であるというのがその要点なのだが、この「実験」というのが厄介である。社会実験を行うのは実務上も倫理上も大変な困難を伴うし、自然実験を見つけてくるというのは職人芸に近い。特別な訓練を長年受けた研究者がようやく発見にいたるというもので、専門性のない人では全く歯が立たないだろう。

 「実験」は行うのも見つけるのも困難だとしても、政策評価の質を高めるために有効な取り組みは存在する。

定期的なデータの取得

 ひとつの方法は、普段から定期的にデータを取得しておくというものだ。定期的にデータを取得しておけば、たまたま政策変化が起こるなどして自然実験が見つかれば、政策評価を行うことができる。

 私達の保育所利用と子どもの発達に関する研究は、そうした例の一つである。分析に利用した21世紀出生児縦断調査は、保育政策の評価のために行われた調査ではないが、結果的に政策評価に利用することができた。

行政データの活用が政策評価改善への近道

 もうひとつの、おそらくはより望ましい方法は、業務で利用している行政データを活用するというものだ。行政データならば、新たに調査を行う必要もなく、巨額の費用がかかる心配もない。

 加えて、一般の統計調査と違って回収率はほぼ100%である。高い回収率は、日本全体の平均像を正しく映し出すためには不可欠だ。そして、そこに含まれている情報も精度が高い。年収を聞く調査は多いが、正確に覚えている人がいるはずもなく、ほとんどの人は概数で答えている。しかし、税務データが利用可能であれば、正確な課税収入額がわかる。

 こうした行政データの活用では、北欧諸国が先端を走っている。出生時の体重から、健康診断結果・通院歴、学校での成績、課税収入などすべての情報が紐付けられており、研究者が分析することで、政策形成に役立てている。もちろんプライバシー保護は配慮されており、そのための対策はIT技術の活用により低コストで行うこともできる。

 日本でも、こうした行政データの活用を進めることが、政策評価の質の改善、ひいては質の高い「根拠に基づいた政策形成」への近道だろう。

データ ≠ エビデンス

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 前回に引き続き、「根拠に基づいた政策形成(EBPM)」の話。

 このブログでも過去に取り上げた、保育園通いと子どもの発達の関係についての研究についてたびたび講演を行っている。*1

 幸い、多くの方に関心を持っていただき、講演ではたくさんの質問をいただく。特に多いのは、「幼稚園と保育園では子どもの発達に違いは出るの?」、「認可保育所無認可保育所での違いは?」、「どういう保育所が子どもの発達にいいの?」といったものだ。

 実際にはもう少しマシな答え方をするものの、率直な答えは「信頼性の高い研究がないのでわかりません」というものだ。なぜわからないのかと続けて聞かれれば、そもそも調査が行われていない・データが無いためだと答えているが、実はこれは半分正しくて、半分正しくない。 labor-econ.hatenablog.com

データだけでは不十分

 私の経験した範囲では、一般の人々のみならず、教育の専門家・研究者でも、調査を行えば上の疑問に対する答えが得られると思っている人は多い。しかし、調査が行われてデータがあるというのは必要条件に過ぎず、データがあるからといって必ずしも上の疑問に対する答えを得られるわけではない。

単純な比較から因果関係はわからない

 「保育園通い」の効果を知るにはどうしたらいいだろうか。すぐに思いつくのは、保育園に通っている子どもと、通っていない子どもの発達状態を比較することだ。

 しかし、保育園に通っている子どもと、通っていない子どもの間では、家庭環境が大きく異なる。21世紀出生児縦断調査によると、保育園に通っている子どもの母親の24%が四大卒以上であるのに対し、通っていない子どもの母親では、四大卒は19%である。

 したがって、保育園に通っている子どもと、通っていない子どもで発達状態を比較しても、その違いが保育園通いの有無のためなのか、母親の学歴に代表される家庭環境の違いを反映しているのか区別がつかない。データがあっても、単純な比較から「保育園通いの効果」を知るのは極めて難しいのだ。

広義の「実験」が必要

理想的には社会実験を

 「保育園通いの効果」を知るためには、データがあることに加えて、広い意味での「実験」が行われる必要がある。理想的には、薬の効果を検証するためのものと同様な実験があるといい。つまり、無作為に保育園に通う子どもと通わない子どもを決めて、その後の発達を調査するのだ。もっとも、そんな実験は倫理的に問題があるし、やったとしても、拒否する人が多くて上手くいかないかもしれない。

自然実験による因果関係の解明

 もう一つの方法は政策変更を利用するやり方だ。私達の研究では、2000年台に子ども一人あたりの保育所定員が増えた地域と、あまり増えなかった地域を比較している。*2 2000年時点では、両地域の経済的な豊かさなどに大きな違いがなかったため、両地域における2000年台の子どもの発達の変化の違いは、保育所利用の変化の違いに帰着できると考えられる。

 こうした政策変更をある種の社会実験とみなし、自然実験などと呼ぶことがある。人為的に行われた実験ではなく、自然の手で(ここでは政治家・政策担当者の手であるが)あたかも社会実験が行われたようにみなせるためである。

データと「実験」の両者が因果関係の解明には不可欠

 こういうわけで、何かの「効果」を知るためにはデータが手に入っただけでは不十分なのである。理想的には社会実験、それが無理ならば分析に適した自然実験を見つけてこなければならない。ここが経済学者を始めとする、社会科学者の腕の見せ所でもあるのだが、相当な訓練を積んでようやくできるようになるようなものだ。因果関係の解明というのは、とっても大変な作業なのである。

*1:日経新聞の「経済教室」や、現代ビジネス(記事1記事2)でも記事を書いているので、そちらも見てほしい。

*2:ここでは研究の基本的なアイデアについて述べている。厳密に何が行われたかを知るには論文自体を読んでほしい。

調査は設計がすべて

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  「この調査、もっと良くすることできませんか?」、「〇〇の効果を知りたいんですけど、この調査からどうすればわかりますか?」といった相談をよく受ける。

  大学では政策評価教育研究センターに所属しており、調査やデータ分析に関する相談は大歓迎だ。官公庁、自治体、団体、民間企業を問わず、ぜひ力になりたいと思っている。*1

 しかし、冒頭のような相談はなかなかやっかいだ。調査内容がほぼ固まった、ないしは調査が既にスタートしてしまった段階でできることは、ほとんど無いからだ。

「設計ミス」のある調査からは何も学べない

 よくあるパターンのひとつは、調査が終了してからの「〇〇の効果を知るにはどういう分析をすればいいですか」という相談だ。データ分析によって、何かの政策・介入効果を知ることができるかどうかは、調査設計によって決まる。調査設計に失敗していれば、どんなに洗練された統計手法や、高度なAI・機械学習を適用しても、政策・介入効果について知ることはできない。

 最悪のミスは、比較対象が調査に含まれていないというものだ。たとえば、ある職業訓練プログラムの効果を知りたいとしよう。この訓練の効果を知りたいならば、訓練を受けた人と受けていない人で比較しなければならない。あるいは、せめて訓練を受ける前と後でどのように能力が変化したのかを比較しなければならない。*2

 それにもかかわらず、訓練を受けた人が訓練終了後にどうなったか調査して済ませてしまうことがある。適切な比較もなしに、効果があったかどうかなど、わかりようもないのだ。こういう調査からは何も学べない。完全な失敗である。

 もうひとつのパターンは、第一回目の調査が実施済みで、第二回目以降の調査についてアドバイスがほしいというものだ。この手の継続調査、追跡調査のキモは、回を変えても同じ質問を聞き続け、調査対象の回答がどのように変化していくかを追跡していくところにある。毎回コロコロ聞くことを変えてしまっては、追跡調査としての意味がないのだ。

 この場合、私ができる最善のアドバイスは「ぜひ、同じ質問を続けて聞いてください。文言も変えないように。」というものである。第一回目の調査がまずかったとしても、後でリカバリーなどできない。やるとしたら、第一回目からやり直すしかない。

早い段階で専門家に相談を!

 調査の質を上げることができるのは、それが始められるまでだ。持ち込まれる相談に対しては、最大限建設的なアドバイスをするようにしているが、「手遅れ」になってしまっている場合、大してお役に立てない。

 調査の質を最善のものにしたいのならば、ぜひ早い段階で専門家に相談してほしい。規模が小さいものでも、調査には大金がかかる。そのお金を無駄にしたくないのならば、手間を惜しまず、調査設計の初期段階で専門家の力を借りるべきだ。

*1:これまでに料金を頂いたことはなく、無料でやってきている。条件にしているわけではないが、相談に乗った調査から得られたデータを研究目的で使わせてもらえれば非常にありがたい。

*2:実はこれでも不十分だが、スタートラインには立てていると思うので、ひとまず良しとしておこう。

「AI失業」は起こらない

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 人工知能の発達はめざましく、これまでになかったような製品・サービスが生み出される一方、私達の仕事が人工知能によって奪われてしまうのではないかという懸念も抱かれている。オックスフォード大学のフレイとオズボーンの論文によると、アメリカでは次の10-20年の間に47%もの仕事が機械によって置き換えられる可能性があるそうだ。

 人工知能は近年急速に発達した技術であるが、テクノロジーが仕事を奪うという懸念自体は新しいものではない。あのラッダイト運動は200年前のものだし、もう少し新しいものでは1964年にアメリカのジョンソン大統領が諮問委員会を設置し、自動化の進展により雇用が奪われる可能性について検討された。

 今も昔も悲観論者の中にはテクノロジーが仕事を奪い、街には失業者があふれると予言するものが少なくなかったが、果たして実際にはどうなったか。失業率景気変動に応じて上下するものの、長期的な上昇トレンドにはない。就業率でみるとむしろ上昇傾向にある。こうした歴史を振り返ると、テクノロジーのせいで失業者が街にあふれるといった懸念はあまりに極端で、現実的ではなさそうだ。

 しかしテクノロジーの目的の一つが省力化・自動化である以上、人々の仕事には少なからず影響を及ぼすはずである。テクノロジーは一方で仕事を奪い、他方で仕事を生み出す。失業者が街にあふれることはないだろうが、「勝ち組」と「負け組」を作り、人々の労働所得に影響を与えるかもしれない。これまでなされてきた議論はテクノロジーが仕事を奪う側面にばかり注目してきたが、本稿ではテクノロジーが労働市場全体をどう変えうるか、論点を整理する。

3つの主要な論点

 技術革新は産業構造や労働者の就業行動の変化も引き起こすため、「機械が仕事を奪う」と単純に結論付けられない。経済学に詳しい読者のために、あえて専門用語を使い論点を列挙すると、

  1. 技術(資本)と労働は代替的か補完的か
  2. 生産物は価格・所得弾力的か
  3. 労働供給は弾力的か

とまとめられる。*1

技術と労働の補完的な関係

 技術が労働に置きかわる側面ばかりが注目されているが、他方で技術は労働者を助け、労働生産性を向上させる側面も見逃してはならない。

 個人で行うにせよ、チーム・組織で行うにせよ、ほとんどの生産活動は多数の性質の異なる作業を組み合わせて行われる。たとえば研究という生産活動においては分析的・創造的な作業が中心であるが、対人コミュニケーション業務もあるし、単純な事務作業、肉体労働的な作業も伴う。そしてこれらの作業はどれが欠けても円滑な研究の遂行に支障が出るという意味で、相互に補完的である。

 このように作業が相互に補完的である場合、一つの作業の生産性の向上は全体の生産性の向上につながる。単純作業や肉体労働が自動化されると、人は分析的・創造的な作業や対人コミュニケーションにより多くの時間を割くことができるようになる。もちろん単純作業だけが仕事であるような労働者は転職を余儀なくされるかもしれないが、自動化により労働生産性が向上し、賃金が上昇する仕事の存在にも目を向けるのがバランスの取れたものの見方だろう。

技術革新は産業構造を変える

 技術革新は産業構造も変える。生産性向上は所得を増加させるが、増加した所得は最終的には何らかの消費に向けられる。したがって、所得増加に応じて需要が大きく増大する(需要の所得弾力性が大きい)医療・介護などのサービス産業においては、労働需要が増える。

 こうした産業構造の変化には時間がかかるが、歴史的には着実に進んでおり、雇用もそれに応じてシフトしている。ただし、これまで製造業で働いていた人がサービス業に転職するといった形ではなく、新たに就職する若い世代や、いちど労働市場から離れた女性が再び働き始める際に、製造業ではなくサービス業を選ぶといった形で変化が起こるようだ。*2

 また、生産性が向上することで、当該産業の生産物価格が低下する。生産物価格の低下に応じて需要が大きく増大すれば、産業の成長につながり労働需要も増える。もっとも、このシナリオは短期的には正しいものの、長期的には労働需要減少に結びつくことが多いようである。*3

 こうした問題意識から行われた最新の研究*4によると、生産性の向上は自産業の雇用縮小を引き起こすものの、他産業での雇用拡大につながっているようである。

成長産業でも賃金は伸びない可能性

 技術革新は長い時間をかけて産業構造を変化させ、サービス業における雇用も大幅に増加し続けてきた。これは生産性向上により所得が増大し、サービス産業に対する需要が増えた一方、大半のサービス職は対人コミュニケーションを必要とするため自動化により機械に代替されなかったからである。

 こうしたサービス職に対する労働需要は増加したものの、彼らの賃金はあまり上昇していない。これはサービス職の多くが低スキルであり、労働需要が増えるのに合わせて、労働供給も増えたためである。仮にサービス職で必要なスキルが高度で、該当する人材がなかなか見つからないようなものであれば、労働需要が増大しても労働供給は十分に増えず、賃金は上昇しただろう。

人工知能は仕事を奪うか

 ここまでは経済理論上の論点を整理したが、これらは1980年代以降の先進諸国の経験と整合的である。一方で、人工知能はこれまでのコンピューターによる技術革新とは全く性格が異なるから、上のような議論は当てにならないとする向きもあるかもしれない。実はそうした反論自体、歴史的には繰り返されてきたのだが、たしかに人工知能はこれまでの技術とは異なる点がある。

自動化の領域は拡大

  これまでの自動化技術は、何をどうやればうまくいくのかがよくわかっており、その内容が定式化可能な作業に適用されてきた。言い換えれば、作業をプログラムに書き下せるものが自動化の対象とされてきた。

 一方、人工知能は膨大なデータを統計的に処理した結果にもとづいて正解を判断するため、なぜそうなるのかがうまく説明できないような人間の暗黙知に取って代わろうとしている。したがって、従来は自動化の対象とならなかったような領域が自動化の対象になろうとしている。では、人工知能は我々の仕事を奪うのだろうか。

人間の知識を補完

 将来予測は難しいが、私は上で述べた3つの論点は将来を占う上でいずれも有効だと考えている。特に見逃されがちな論点として、人工知能は多くの頭脳労働者と補完的な関係にあり、彼らの生産性を高めるという点を指摘しておく。医師が診断を下し治療方針を決める際に、人工知能は意思決定の大きな助けになるかもしれないが、倫理的な価値判断を伴う意思決定そのものを行うことはないし、患者とのコミュニケーションも医師の重要な業務である。このような点は弁護士、会計士、研究者といった多くの専門職に当てはまるだろう。*5

所得再分配政策・教育の役割が一層重要に

 人工知能のせいで街に失業者があふれるようになるとは考えにくいものの、これまでの技術革新同様、人々の所得を変化させる可能性は高い。一部の高スキル労働者や、技術・資本を所有する資本家階層は大きな富を得るだろう。その結果、所得格差の拡大が進み、所得再分配政策の重要性が今後高まるかもしれない。

 また、自動化されにくい分析的・創造的な作業や対人コミュニケーションに長けた人材を増やしていくための高等教育の役割も高まるだろう。実践的な職業教育の必要性を求める声もあるが、そこで身につけたスキルは技術変化で陳腐化しやすく、人工知能やIT技術に容易にとって代わられかねない。一見遠回りに見えるかもしれないが、学問を学ぶことで論理性・分析力を身に着けておくことの価値は高まり続けるだろう。 *6

(この記事は2017年9月10日に行われた日本経済学会パネル討論「技術革新と労働市場」での講演に基づいている)

*1:この論点整理はAutor (2015)を参考にしている。

*2:Lee and Wolpin (2006)

*3:Bessen (2017)

*4:Autor and Salomons (2017)

*5:喜連川優氏によると、まれにしか起こらない事象の認識・取り扱いも人工知能は苦手とするようだ。人工知能はデータに基づいて判断するが、まれにしか起こらない事象については当然データが不足するためである。

*6:Goldin (2001)の議論を参照。

最低賃金は雇用を破壊するか

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 最低賃金の引き上げは低賃金労働者の所得増につながり、彼らの生活を改善させると一般に論じられることが多いが、必ずしも、ことはそう単純とは限らない。現在の賃金が労働者の能力に見合った形で支払われている場合、最低賃金を引き上げると企業は利益を得られなくなってしまうため、企業はより少ない労働者を雇うか、一人あたり労働時間を少なくすることで対応するからだ。こうした状況は、企業が労働者をめぐって少しでも高い賃金を提示し、労働者を引きつけようとしている際に当てはまる*1

 一方、企業が労働者の能力を下回る賃金しか支払っていないような場合は話が変わってくる。雇用主の数が少ない小さな町を想像してほしい。この町では働き口が少ないため、雇用主が能力に見合っていない低い賃金を提示しても泣く泣くそれを受け入れざるを得ない。*2 この場合、雇用主は賃金相場が上昇しないよう、なるべく人を雇わないことで利益をあげようとする。しかし最低賃金が引き上げられると、何人雇おうともその最低賃金を支払わねばならないため、賃金相場は上昇しない。このとき雇用主はこれまでよりも多くの労働者を雇うことで利益をあげようとする。

 このように最低賃金導入前の労働市場の状況によって、最低賃金の引き上げは雇用を増やしも減らしもする。その経済理論的な背景は上に書いたとおりだが、見ての通りなかなかややこしいので、川口大司氏の論考大竹文雄氏の論文も参考にしてほしい。

 理屈はともかく実際のところはどうなのか気になると思うが、実証的にもなかなか決着のついていない論点である。私も近年の論文を何本か読んだが、かなり細かい話に入り込んでいて専門家といえども話についていくのがなかなかしんどかった。とはいえ、これまでの最低賃金の引き上げは(大きくは)雇用に影響を与えなかったというのがひとつのコンセンサスになりつつあるように見えた。

 そんな中、最低賃金に関する興味深い論文が2本立て続けに発表されたとMarginal Revolutionというブログが伝えている。

デンマークでは18歳になると最低賃金が4割上昇

 一本目の論文は、デンマークの分析だ。デンマークでは18歳になると最低賃金が4割引き上げられるが、18歳になった途端、雇用率が激減していることを発見した。

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 左のグラフは年齢(横軸)とともに賃金(縦軸)がどのように変化するのかを示している。18歳になった途端(0のところ)賃金がジャンプしているのがわかる。右のグラフは年齢(横軸)と雇用率(縦軸)の変化を示してる。これを見ると18歳になった途端、雇用率が急落していることがわかる。

 このグラフを見れば、デンマークの18歳時点での最低賃金の引き上げは雇用を激減させていることは一目瞭然である。最低賃金についての分析でこんなにきれいに結果を出した論文を知らなかったので、初めて見たときには、これは最低賃金研究にとって大きな前進だ!と思ったけれども、そこまで大きなインパクトは無いだろう。

 18歳の最低賃金が上がるために彼らを雇うことをやめた企業はどのように対応したのだろうか。おそらく17歳の労働者の雇用を増やしたはずである。両者は質的に似通っており、容易に代替可能だ。しかし、最低賃金の引き上げが18歳以上だけでなく、労働市場全体に適用された場合にはどうだろうか。この場合、17歳の労働者の賃金も同様に高いのであるから、おそらく代替は起こらず、上のグラフで見られるような雇用の急落は起こらないであろう。

 多くの人々が知りたいのは、労働市場全体に適用される最低賃金の引き上げが雇用にどのような影響をおよぼすのかであって、年齢別最低賃金の効果ではない。このデンマークの事例の分析は美しいけれども、最低賃金論争に決着を着けるようなものではない。

シアトルにおける最低賃金引き上げ

 もう一つ紹介されていたのはシアトル市における最低賃金の引き上げを取り上げた論文だ。シアトル市で2015年から16年にかけて最低賃金を時給$11から$13に上げた結果、低賃金労働者の労働時間を9%減らした。おそらくこれは労働者が自主的に労働時間を減らしたのではなく、企業が雇用量を減らしたためだと思われる。低賃金労働者は自らの賃金が上がった場合、余暇時間を増やすよりも労働時間を増やして所得を増やしたがるからだ。企業が労働者の働く時間を減らした結果、彼らの月収は$125減少したらしい。

marginalrevolution.com

 これまでの研究に比べてより正確な賃金と労働時間のデータが取れていることが主な利点で、その他にも統計分析上の工夫がなされているようだ。が、やはりだいぶ細かい話に入り込んでいて、とてもここで書ききれるような話ではない。おそらくはこの論文に対しても、今後様々な批判が加えられていくのであろう。最低賃金論争に決着がつくのはまだまだ先の話になりそうである。

*1:経済学の用語で言うと、労働市場が「完全競争的」である場合だ。

*2:労働市場が「買手独占的」である場合だ。

幼児教育の経済的利益とは何か?

 きのう日経新聞経済教室」に寄稿したが、字数の制約などのために書ききれなかった内容が多少あるので補足しておきたい。以下の内容は記事と一部重複する。

幼児教育の主な利益は将来の労働所得増加と犯罪の減少

 認可保育所に多くみられるような良質な保育施設は、幼児教育施設としての側面も併せ持つ。近年の経済学の研究では、幼児教育施設は社会にとって有望な「投資先」とみなせることが示されている。シカゴ大学のヘックマン教授らの一連の研究によると、社会経済的に恵まれていない子供達が良質な幼児教育プログラムに参加した結果、成人後の労働所得が増加する一方、犯罪への関与など社会的に望ましくないとされる行動は減少している。

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 図は幼児教育が生み出す様々な経済的利益を試算したものだ。ヘックマン教授によると、ペリー幼児教育プログラムはその費用1ドルあたり6.2ドルの経済的利益を生み出した。これは内部収益率で評価すると年率8%にも上り、株式投資から得られる平均的な収益率を大きく上回る。

 主要な経済的利益のひとつは労働所得の増加だ。幼児教育が子供の能力を引き出し、学校卒業後に高給かつ安定した仕事に就けるようにする。加えて、この労働所得の増加に伴い社会福祉に対する依存が弱まるため、関連する政府支出も抑えられる。もう一つの重要な経済的利益は犯罪の減少によるものだ。犯罪被害者がこうむる経済的損失が避けられるのみならず、警察、司法、収監に関わる費用が抑えられる。

 ここまでの話の元になっているのは以下の論文である。

Heckman et al (2010), "The rate of return to the HighScope Perry Preschool Program", Journal of Public Economics, vol. 94, pp. 114-128.

健康面も改善

 ペリープログラムではなくノースカロライナのABC/CAREというプログラムを評価した別論文になるが、ヘックマンらは健康に対する影響も評価している。幼児教育の結果、喫煙、薬物の乱用が減るほか、成人後の健康面の改善もみられ、幼児教育が健康で質の高い生活を送ることに寄与しているそうだ。ただし、健康面が改善して長生きするため、医療費は多少増える。

 この研究については学術論文以外にも色々と資料が提供されており、以下のページからアクセスできる。

heckmanequation.org

数字の解釈には注意が必要

 これら経済的利益に関する数字はもちろん様々な前提条件をおいて試算されたものであるから注意が必要だ。犯罪の減少や健康面の改善をどのように金銭価値に換算するかは簡単ではないし、何をどこまで含むかによっても数字は大きく変わりうる。正しく理解するには論文を読むしかないが、控えめに言ってもこれらのプログラムについては「元は取れた」としていいように思える。

「英才教育の効果」ではないことに注意

 

 ヘックマンらの一連の研究はいろいろなところで取り上げられているが、彼らの研究結果は幼児期の英才教育を奨励するようなものではないことに注意してほしい。彼らの研究が対象としている幼児教育プログラムは貧しい家庭を対象としたものであり、そうした家庭で育つ子供達にとって幼児教育が大いに有益だとしているにすぎない。上のグラフで示したとおり、その主な利益の源泉は犯罪の減少であり、ハーバードのようなエリート大学を卒業することではない。

 日本の保育園の効果を検証した私達の研究にしても同様であり、社会経済的に恵まれない家庭の子供について、保育所に通うことが彼らの行動面を改善することを発見している。幼児期の英才教育には効果があるかもしれないが、それは分析の対象外だ。

 次回の更新では、こうした経済的利益を踏まえると、幼児教育の費用はどのように負担されるべきかという点について私見を述べる。

 

 

日経新聞 「経済教室」掲載記事の参考文献

日本経済新聞の「経済教室」というコーナーに寄稿した。

www.nikkei.com

要点は以下の通り。

  • 幼児教育としての保育は、将来的には大きな経済的利益出しうる。
  • 保育所に通うことで、社会経済的に恵まれない家庭の子供達の社会情緒的な能力が改善。
  • 保育政策は全ての家庭を支援対象にすべきだが、その度合を経済的状況に応じて変えていく必要がある。特に恵まれない家庭への厚い支援が必要。

記事で触れている研究論文は以下に記しておく。

厚生労働省・21世紀出生児縦断調査を用いて、日本の子供についての保育所の効果を測定した私達の論文がこちら。

papers.ssrn.com

幼児教育の経済的利益を計算したヘックマンらの論文はこちら。

Heckman et al (2010), "The rate of return to the HighScope Perry Preschool Program,"  Journal of Public Economics, vol. 94, pp. 114-128.

字数の制約から詳しく書けなかったこともあるので、そうした点について、後日このブログで補足する。