「AI失業」は起こらない

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 人工知能の発達はめざましく、これまでになかったような製品・サービスが生み出される一方、私達の仕事が人工知能によって奪われてしまうのではないかという懸念も抱かれている。オックスフォード大学のフレイとオズボーンの論文によると、アメリカでは次の10-20年の間に47%もの仕事が機械によって置き換えられる可能性があるそうだ。

 人工知能は近年急速に発達した技術であるが、テクノロジーが仕事を奪うという懸念自体は新しいものではない。あのラッダイト運動は200年前のものだし、もう少し新しいものでは1964年にアメリカのジョンソン大統領が諮問委員会を設置し、自動化の進展により雇用が奪われる可能性について検討された。

 今も昔も悲観論者の中にはテクノロジーが仕事を奪い、街には失業者があふれると予言するものが少なくなかったが、果たして実際にはどうなったか。失業率景気変動に応じて上下するものの、長期的な上昇トレンドにはない。就業率でみるとむしろ上昇傾向にある。こうした歴史を振り返ると、テクノロジーのせいで失業者が街にあふれるといった懸念はあまりに極端で、現実的ではなさそうだ。

 しかしテクノロジーの目的の一つが省力化・自動化である以上、人々の仕事には少なからず影響を及ぼすはずである。テクノロジーは一方で仕事を奪い、他方で仕事を生み出す。失業者が街にあふれることはないだろうが、「勝ち組」と「負け組」を作り、人々の労働所得に影響を与えるかもしれない。これまでなされてきた議論はテクノロジーが仕事を奪う側面にばかり注目してきたが、本稿ではテクノロジーが労働市場全体をどう変えうるか、論点を整理する。

3つの主要な論点

 技術革新は産業構造や労働者の就業行動の変化も引き起こすため、「機械が仕事を奪う」と単純に結論付けられない。経済学に詳しい読者のために、あえて専門用語を使い論点を列挙すると、

  1. 技術(資本)と労働は代替的か補完的か
  2. 生産物は価格・所得弾力的か
  3. 労働供給は弾力的か

とまとめられる。*1

技術と労働の補完的な関係

 技術が労働に置きかわる側面ばかりが注目されているが、他方で技術は労働者を助け、労働生産性を向上させる側面も見逃してはならない。

 個人で行うにせよ、チーム・組織で行うにせよ、ほとんどの生産活動は多数の性質の異なる作業を組み合わせて行われる。たとえば研究という生産活動においては分析的・創造的な作業が中心であるが、対人コミュニケーション業務もあるし、単純な事務作業、肉体労働的な作業も伴う。そしてこれらの作業はどれが欠けても円滑な研究の遂行に支障が出るという意味で、相互に補完的である。

 このように作業が相互に補完的である場合、一つの作業の生産性の向上は全体の生産性の向上につながる。単純作業や肉体労働が自動化されると、人は分析的・創造的な作業や対人コミュニケーションにより多くの時間を割くことができるようになる。もちろん単純作業だけが仕事であるような労働者は転職を余儀なくされるかもしれないが、自動化により労働生産性が向上し、賃金が上昇する仕事の存在にも目を向けるのがバランスの取れたものの見方だろう。

技術革新は産業構造を変える

 技術革新は産業構造も変える。生産性向上は所得を増加させるが、増加した所得は最終的には何らかの消費に向けられる。したがって、所得増加に応じて需要が大きく増大する(需要の所得弾力性が大きい)医療・介護などのサービス産業においては、労働需要が増える。

 こうした産業構造の変化には時間がかかるが、歴史的には着実に進んでおり、雇用もそれに応じてシフトしている。ただし、これまで製造業で働いていた人がサービス業に転職するといった形ではなく、新たに就職する若い世代や、いちど労働市場から離れた女性が再び働き始める際に、製造業ではなくサービス業を選ぶといった形で変化が起こるようだ。*2

 また、生産性が向上することで、当該産業の生産物価格が低下する。生産物価格の低下に応じて需要が大きく増大すれば、産業の成長につながり労働需要も増える。もっとも、このシナリオは短期的には正しいものの、長期的には労働需要減少に結びつくことが多いようである。*3

 こうした問題意識から行われた最新の研究*4によると、生産性の向上は自産業の雇用縮小を引き起こすものの、他産業での雇用拡大につながっているようである。

成長産業でも賃金は伸びない可能性

 技術革新は長い時間をかけて産業構造を変化させ、サービス業における雇用も大幅に増加し続けてきた。これは生産性向上により所得が増大し、サービス産業に対する需要が増えた一方、大半のサービス職は対人コミュニケーションを必要とするため自動化により機械に代替されなかったからである。

 こうしたサービス職に対する労働需要は増加したものの、彼らの賃金はあまり上昇していない。これはサービス職の多くが低スキルであり、労働需要が増えるのに合わせて、労働供給も増えたためである。仮にサービス職で必要なスキルが高度で、該当する人材がなかなか見つからないようなものであれば、労働需要が増大しても労働供給は十分に増えず、賃金は上昇しただろう。

人工知能は仕事を奪うか

 ここまでは経済理論上の論点を整理したが、これらは1980年代以降の先進諸国の経験と整合的である。一方で、人工知能はこれまでのコンピューターによる技術革新とは全く性格が異なるから、上のような議論は当てにならないとする向きもあるかもしれない。実はそうした反論自体、歴史的には繰り返されてきたのだが、たしかに人工知能はこれまでの技術とは異なる点がある。

自動化の領域は拡大

  これまでの自動化技術は、何をどうやればうまくいくのかがよくわかっており、その内容が定式化可能な作業に適用されてきた。言い換えれば、作業をプログラムに書き下せるものが自動化の対象とされてきた。

 一方、人工知能は膨大なデータを統計的に処理した結果にもとづいて正解を判断するため、なぜそうなるのかがうまく説明できないような人間の暗黙知に取って代わろうとしている。したがって、従来は自動化の対象とならなかったような領域が自動化の対象になろうとしている。では、人工知能は我々の仕事を奪うのだろうか。

人間の知識を補完

 将来予測は難しいが、私は上で述べた3つの論点は将来を占う上でいずれも有効だと考えている。特に見逃されがちな論点として、人工知能は多くの頭脳労働者と補完的な関係にあり、彼らの生産性を高めるという点を指摘しておく。医師が診断を下し治療方針を決める際に、人工知能は意思決定の大きな助けになるかもしれないが、倫理的な価値判断を伴う意思決定そのものを行うことはないし、患者とのコミュニケーションも医師の重要な業務である。このような点は弁護士、会計士、研究者といった多くの専門職に当てはまるだろう。*5

所得再分配政策・教育の役割が一層重要に

 人工知能のせいで街に失業者があふれるようになるとは考えにくいものの、これまでの技術革新同様、人々の所得を変化させる可能性は高い。一部の高スキル労働者や、技術・資本を所有する資本家階層は大きな富を得るだろう。その結果、所得格差の拡大が進み、所得再分配政策の重要性が今後高まるかもしれない。

 また、自動化されにくい分析的・創造的な作業や対人コミュニケーションに長けた人材を増やしていくための高等教育の役割も高まるだろう。実践的な職業教育の必要性を求める声もあるが、そこで身につけたスキルは技術変化で陳腐化しやすく、人工知能やIT技術に容易にとって代わられかねない。一見遠回りに見えるかもしれないが、学問を学ぶことで論理性・分析力を身に着けておくことの価値は高まり続けるだろう。 *6

(この記事は2017年9月10日に行われた日本経済学会パネル討論「技術革新と労働市場」での講演に基づいている)

*1:この論点整理はAutor (2015)を参考にしている。

*2:Lee and Wolpin (2006)

*3:Bessen (2017)

*4:Autor and Salomons (2017)

*5:喜連川優氏によると、まれにしか起こらない事象の認識・取り扱いも人工知能は苦手とするようだ。人工知能はデータに基づいて判断するが、まれにしか起こらない事象については当然データが不足するためである。

*6:Goldin (2001)の議論を参照。

最低賃金は雇用を破壊するか

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 最低賃金の引き上げは低賃金労働者の所得増につながり、彼らの生活を改善させると一般に論じられることが多いが、必ずしも、ことはそう単純とは限らない。現在の賃金が労働者の能力に見合った形で支払われている場合、最低賃金を引き上げると企業は利益を得られなくなってしまうため、企業はより少ない労働者を雇うか、一人あたり労働時間を少なくすることで対応するからだ。こうした状況は、企業が労働者をめぐって少しでも高い賃金を提示し、労働者を引きつけようとしている際に当てはまる*1

 一方、企業が労働者の能力を下回る賃金しか支払っていないような場合は話が変わってくる。雇用主の数が少ない小さな町を想像してほしい。この町では働き口が少ないため、雇用主が能力に見合っていない低い賃金を提示しても泣く泣くそれを受け入れざるを得ない。*2 この場合、雇用主は賃金相場が上昇しないよう、なるべく人を雇わないことで利益をあげようとする。しかし最低賃金が引き上げられると、何人雇おうともその最低賃金を支払わねばならないため、賃金相場は上昇しない。このとき雇用主はこれまでよりも多くの労働者を雇うことで利益をあげようとする。

 このように最低賃金導入前の労働市場の状況によって、最低賃金の引き上げは雇用を増やしも減らしもする。その経済理論的な背景は上に書いたとおりだが、見ての通りなかなかややこしいので、川口大司氏の論考大竹文雄氏の論文も参考にしてほしい。

 理屈はともかく実際のところはどうなのか気になると思うが、実証的にもなかなか決着のついていない論点である。私も近年の論文を何本か読んだが、かなり細かい話に入り込んでいて専門家といえども話についていくのがなかなかしんどかった。とはいえ、これまでの最低賃金の引き上げは(大きくは)雇用に影響を与えなかったというのがひとつのコンセンサスになりつつあるように見えた。

 そんな中、最低賃金に関する興味深い論文が2本立て続けに発表されたとMarginal Revolutionというブログが伝えている。

デンマークでは18歳になると最低賃金が4割上昇

 一本目の論文は、デンマークの分析だ。デンマークでは18歳になると最低賃金が4割引き上げられるが、18歳になった途端、雇用率が激減していることを発見した。

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 左のグラフは年齢(横軸)とともに賃金(縦軸)がどのように変化するのかを示している。18歳になった途端(0のところ)賃金がジャンプしているのがわかる。右のグラフは年齢(横軸)と雇用率(縦軸)の変化を示してる。これを見ると18歳になった途端、雇用率が急落していることがわかる。

 このグラフを見れば、デンマークの18歳時点での最低賃金の引き上げは雇用を激減させていることは一目瞭然である。最低賃金についての分析でこんなにきれいに結果を出した論文を知らなかったので、初めて見たときには、これは最低賃金研究にとって大きな前進だ!と思ったけれども、そこまで大きなインパクトは無いだろう。

 18歳の最低賃金が上がるために彼らを雇うことをやめた企業はどのように対応したのだろうか。おそらく17歳の労働者の雇用を増やしたはずである。両者は質的に似通っており、容易に代替可能だ。しかし、最低賃金の引き上げが18歳以上だけでなく、労働市場全体に適用された場合にはどうだろうか。この場合、17歳の労働者の賃金も同様に高いのであるから、おそらく代替は起こらず、上のグラフで見られるような雇用の急落は起こらないであろう。

 多くの人々が知りたいのは、労働市場全体に適用される最低賃金の引き上げが雇用にどのような影響をおよぼすのかであって、年齢別最低賃金の効果ではない。このデンマークの事例の分析は美しいけれども、最低賃金論争に決着を着けるようなものではない。

シアトルにおける最低賃金引き上げ

 もう一つ紹介されていたのはシアトル市における最低賃金の引き上げを取り上げた論文だ。シアトル市で2015年から16年にかけて最低賃金を時給$11から$13に上げた結果、低賃金労働者の労働時間を9%減らした。おそらくこれは労働者が自主的に労働時間を減らしたのではなく、企業が雇用量を減らしたためだと思われる。低賃金労働者は自らの賃金が上がった場合、余暇時間を増やすよりも労働時間を増やして所得を増やしたがるからだ。企業が労働者の働く時間を減らした結果、彼らの月収は$125減少したらしい。

marginalrevolution.com

 これまでの研究に比べてより正確な賃金と労働時間のデータが取れていることが主な利点で、その他にも統計分析上の工夫がなされているようだ。が、やはりだいぶ細かい話に入り込んでいて、とてもここで書ききれるような話ではない。おそらくはこの論文に対しても、今後様々な批判が加えられていくのであろう。最低賃金論争に決着がつくのはまだまだ先の話になりそうである。

*1:経済学の用語で言うと、労働市場が「完全競争的」である場合だ。

*2:労働市場が「買手独占的」である場合だ。

幼児教育の経済的利益とは何か?

 きのう日経新聞経済教室」に寄稿したが、字数の制約などのために書ききれなかった内容が多少あるので補足しておきたい。以下の内容は記事と一部重複する。

幼児教育の主な利益は将来の労働所得増加と犯罪の減少

 認可保育所に多くみられるような良質な保育施設は、幼児教育施設としての側面も併せ持つ。近年の経済学の研究では、幼児教育施設は社会にとって有望な「投資先」とみなせることが示されている。シカゴ大学のヘックマン教授らの一連の研究によると、社会経済的に恵まれていない子供達が良質な幼児教育プログラムに参加した結果、成人後の労働所得が増加する一方、犯罪への関与など社会的に望ましくないとされる行動は減少している。

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 図は幼児教育が生み出す様々な経済的利益を試算したものだ。ヘックマン教授によると、ペリー幼児教育プログラムはその費用1ドルあたり6.2ドルの経済的利益を生み出した。これは内部収益率で評価すると年率8%にも上り、株式投資から得られる平均的な収益率を大きく上回る。

 主要な経済的利益のひとつは労働所得の増加だ。幼児教育が子供の能力を引き出し、学校卒業後に高給かつ安定した仕事に就けるようにする。加えて、この労働所得の増加に伴い社会福祉に対する依存が弱まるため、関連する政府支出も抑えられる。もう一つの重要な経済的利益は犯罪の減少によるものだ。犯罪被害者がこうむる経済的損失が避けられるのみならず、警察、司法、収監に関わる費用が抑えられる。

 ここまでの話の元になっているのは以下の論文である。

Heckman et al (2010), "The rate of return to the HighScope Perry Preschool Program", Journal of Public Economics, vol. 94, pp. 114-128.

健康面も改善

 ペリープログラムではなくノースカロライナのABC/CAREというプログラムを評価した別論文になるが、ヘックマンらは健康に対する影響も評価している。幼児教育の結果、喫煙、薬物の乱用が減るほか、成人後の健康面の改善もみられ、幼児教育が健康で質の高い生活を送ることに寄与しているそうだ。ただし、健康面が改善して長生きするため、医療費は多少増える。

 この研究については学術論文以外にも色々と資料が提供されており、以下のページからアクセスできる。

heckmanequation.org

数字の解釈には注意が必要

 これら経済的利益に関する数字はもちろん様々な前提条件をおいて試算されたものであるから注意が必要だ。犯罪の減少や健康面の改善をどのように金銭価値に換算するかは簡単ではないし、何をどこまで含むかによっても数字は大きく変わりうる。正しく理解するには論文を読むしかないが、控えめに言ってもこれらのプログラムについては「元は取れた」としていいように思える。

「英才教育の効果」ではないことに注意

 

 ヘックマンらの一連の研究はいろいろなところで取り上げられているが、彼らの研究結果は幼児期の英才教育を奨励するようなものではないことに注意してほしい。彼らの研究が対象としている幼児教育プログラムは貧しい家庭を対象としたものであり、そうした家庭で育つ子供達にとって幼児教育が大いに有益だとしているにすぎない。上のグラフで示したとおり、その主な利益の源泉は犯罪の減少であり、ハーバードのようなエリート大学を卒業することではない。

 日本の保育園の効果を検証した私達の研究にしても同様であり、社会経済的に恵まれない家庭の子供について、保育所に通うことが彼らの行動面を改善することを発見している。幼児期の英才教育には効果があるかもしれないが、それは分析の対象外だ。

 次回の更新では、こうした経済的利益を踏まえると、幼児教育の費用はどのように負担されるべきかという点について私見を述べる。

 

 

日経新聞 「経済教室」掲載記事の参考文献

日本経済新聞の「経済教室」というコーナーに寄稿した。

www.nikkei.com

要点は以下の通り。

  • 幼児教育としての保育は、将来的には大きな経済的利益出しうる。
  • 保育所に通うことで、社会経済的に恵まれない家庭の子供達の社会情緒的な能力が改善。
  • 保育政策は全ての家庭を支援対象にすべきだが、その度合を経済的状況に応じて変えていく必要がある。特に恵まれない家庭への厚い支援が必要。

記事で触れている研究論文は以下に記しておく。

厚生労働省・21世紀出生児縦断調査を用いて、日本の子供についての保育所の効果を測定した私達の論文がこちら。

papers.ssrn.com

幼児教育の経済的利益を計算したヘックマンらの論文はこちら。

Heckman et al (2010), "The rate of return to the HighScope Perry Preschool Program,"  Journal of Public Economics, vol. 94, pp. 114-128.

字数の制約から詳しく書けなかったこともあるので、そうした点について、後日このブログで補足する。

保育園は子供の発達にどんな影響?厚労省データによる検証

f:id:mendota:20170513120718j:plain 待機児童問題は、長年に渡る重大な社会問題のひとつである。批判はあろうが、待機児童問題の解消は安倍政権も重要視しており、最終的には女性就業率と出生率の向上に結びつけたいようだ。

 北米・欧州諸国においても保育所の充実は重要な政策課題であるが、日本とはやや異なり、母親の就業よりも子供の発達に与える影響に論点の重きが置かれている。つまり保育所を幼児教育施設と見なし、そこで過ごすことが子供たちにどのような影響を与えているのかが重視されているのだ。

良質な幼児教育プログラムは有望な「投資先」

 親からすれば子供の発達を気にかけるのは当然のことであるが、実は、ここには経済的な損得勘定も絡んでいる。シカゴ大学のヘックマン教授らの一連の研究によると、社会経済的に恵まれていない家庭の子供が良質な幼児教育プログラムに参加した結果、成人後の犯罪への関与と薬物使用が減少する一方、就業率と収入の増加、健康状態の改善に繋がった。ヘックマン教授の計算によると、この幼児教育プログラムの投資収益率は年率13%にもなる。*1

  このように、保育所が子供に与える影響は親にとってのみならず、社会全体にとっても大きな関心事となりうる。保育所で過ごすことは子供たちの発達に良いのだろうか、それとも悪いのだろうか。ヘックマン教授らの研究はアメリカの事例であり、社会構造の違いを考えると、同様の結果が日本に当てはまるかどうかは直ちに明らかではない。

保育所利用が子供に与える影響をデータで検証

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 私達の研究グループは厚生労働省・21世紀出生児縦断調査から得られたデータを分析し、保育所入所が2-3歳のこどもの発達・行動面に与える影響を評価した。このブログ記事では主要結果の概要をできるだけ簡単に伝えたい。

 データや統計的手法の詳細が気になる読者は、以下のリンク先にある元論文を読んで欲しい。一言だけ述べておくと、単純に保育所に通っている子供と通っていない子供を比較して論じているのではなく、相関関係と因果関係の区別に注意を払った因果推論の手法に基づいている。*2

papers.ssrn.com

恵まれない家庭の子供に大きな効果

 もっとも重要な発見は、社会経済的に恵まれていない家庭の子供の攻撃性・多動性が大きく減少していることだ。*3 この子供たちは、保育所に通わなかった場合、他の家庭の子供たちに比べて高い攻撃性・多動性を示しがちであるが、保育所に通った場合にはそうした傾向を見せない。つまり、保育所に通うことが、恵まれていない家庭の子供たちの行動面を改善させているのだ。

 保育所に通わない場合は、家庭環境の差が子供の問題行動の差にそのまま表れやすいが、保育所ではどの子供も同じように育てられるので、そうした差が生じにくくなるというのが理由のひとつだ。

母親のしつけの仕方、幸福度も改善

 保育所に通うことで変わるのは子供だけではない。社会経済的に恵まれていない家庭の母親のしつけの仕方、幸福度も大きく改善している。具体的に言うと、こどもを叩いたり、暗いところに閉じ込めてしつけようとすることが減る一方、なぜダメなのか言葉で説明することが増えている。同時に、母親が子育てから感じるストレスが減り、子育てから喜びを感じられるようになっていることがデータから示されている。

 母親のしつけの仕方が改善した理由の一つには、保育所を通じて、しつけの仕方を学んでいることがあるようだ。*4 これはしつけの仕方がわからないと答えた母親の割合が減っていることに表れている。より良い子育ての仕方を親に教えるようなプログラムは、子供の問題行動を減らす上で有効となりうることを、この分析結果は示唆している。

平均的な家庭の子供には悪影響なし

 平均的、あるいはそれ以上に恵まれている家庭の子供たちにとっては、保育所に通う場合と通わない場合で行動面に大きな違いは見られない。もちろん個人差や特殊なケースはあるかもしれないが、全体的には、保育所の利用が子供の発達に有害であるという証拠は見つけられなかった。

貧しい家庭への支援は社会全体にも有益

 この研究は、保育所の利用は社会経済的に恵まれていない家庭の子供と母親の厚生を大きく改善することを示唆している。それ以外の子供たちの発達には良くも悪くも大きな影響を与えないようだ。

 現在の制度下では、保育所利用料金は世帯収入に応じて低減措置が取られているものの、ひとり親家庭生活保護世帯を除くと、世帯収入は利用調整の点数に影響しない。従って、恵まれない家庭といえども、必ずしも保育所利用が優先されているわけではないのだ。

 現段階での研究では保育所利用の長期的な効果は未知数であり、ヘックマン教授のように投資収益率が何%であるか数字を挙げることはできないものの、子供の発達への好影響を踏まえると、恵まれない家庭に対する優遇措置の拡大を検討すべきであるようにみえる。

有望だが、さらなる検証が不可欠

 私達の研究は、現代の経済学で要求される分析の質を満たすべく最善の注意を払ったが、他のあらゆる研究と同様に不完全な点を残している。したがって今後、様々な研究者が様々な方法で同様の問題を検証することで、結果の信頼性が確認される必要がある。

*1:Carolina Abecedarian ProjectとCarolina Approach to Responsive Educationの場合。Garcia, Heckman, Leaf, and Prados (2016)を参照。

*2:差の差法と操作変数法を組み合わせている。両手法の初学者向けの説明は中室・津川 (2017) がよい。これ以上は論文を読んで欲しい。

*3:この論文では、母親の学歴が高卒未満である家庭を社会経済的に恵まれていない家庭としている。

*4:この他には、子供が行儀良く振る舞うことを保育園で覚えてきたため、しつけが楽になり体罰を行わなくなったということもあるだろう。

高等教育無償化を正当化しうる5つの理由

高等教育は「個人利益」か

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 安倍総理自民党総裁として示した憲法改正提案には高等教育の無償化が含まれている。当然、財源はどうするのかといった問題が出てくるわけで、財務省は否定的な姿勢だ。

jp.reuters.com

高卒者と大学・大学院卒者では「生涯所得が6000─7000万円異なる」(独立行政法人労働政策研究・研修機構)ことから、財務省の提案では、高等教育が「生涯賃金の増加につながるという私的便益が大きい」と位置づけた。

 教育がそれを受けた本人のみに利益をもたらすならば、経済効率的には政府が介入する必要はないので、この財務省の主張は正しい。教育に対する補助金はインセンティブを歪め、教育水準が過剰に上がってしまうだろう。

 しかし、教育がそれを受けた本人のみならず、社会全体に利益をもたらすならば話は変わってくる。個々人は自分が受ける利益だけを考慮するが、自分の教育が社会全体に及ぼしうる利益を考慮しないため、教育投資が過小になってしまうからだ。*1この場合、政府の介入、たとえば補助金は正当化されうる。*2

教育無償化を正当化しうる5つの理由

 Moretti (2006)を下敷きにして、教育無償化を正当化しうる根拠を列挙してみよう。

教育のスピルオーバー効果

 教育が社会全体に利益をもたらす代表例は、生産性にスピルオーバーがあるケースだ。シリコンバレー発展の説明に、優れたアイデアは優れた人々が集まることでより生まれやすくなるためだというものがあるが、これはまさに生産性のスピルオーバーを指している。*3

犯罪減少を通じた社会的費用の低下

 教育は犯罪を減らす効果があることも知られている。教育水準が高ければ、まっとうに働くことで得られる利益が、逮捕されるリスクを抱えて犯罪に手を染める利益を上回ることが理由のひとつだ。もちろん、教育を受けることで、本人や周囲の犯罪に対する態度が変わることも考えられる。*4

借り入れ制約

 進学のための借金ができない、または金利が極めて高い場合にも、教育に対する補助金が正当化される。上の記事にあるように、大学進学は生涯所得を大きく伸ばすが、それを当てにして借金することは難しい。利益が出ることが見込まれているにも関わらず、教育投資が過小になってしまうのだ。この場合には、貸費・給費の奨学金や教育に対する補助金は問題を解決することが出来る。*5

教育の次世代への影響

 教育が世代を超えて及ぼす効果も考慮すべき要素だ。多くの研究は、親の教育水準がこどもの健康や教育水準に強い影響をおよぼすことを示している。こどもに及ぼす利益も100%考慮した上で、親が自分の大学進学を判断しているのならば補助金は不要だ。しかし実際には、まだ生まれてもいないこどもの利益を完全に考慮に入れて判断しているとは考えにくい。よって、次世代に及ぼしうる利益は過小評価されている可能性が高いが、教育に対する補助金はこの問題の解決に役立つ。*6

卒業後稼げないリスクへの保険

 大学進学は平均的には生涯所得を大きく伸ばすが、結果的には当てはまらない人もいるだろう。一般論として、大学進学は割のいい投資であるが、思ったほどには稼げないというリスクもついている。このリスクに対する保険が存在しない場合、リスク回避的な人は進学をためらい、教育投資が過小になってしまう。進学時には補助金を払い、将来は累進課税を通じて回収するというのは実質的に保険の提供になるので、やはり教育投資が過少になるのを防ぐことにつながる。*7

では、高等教育は無償化すべき?

 ここまではあくまで理論的に教育補助金が正当化されうるケースを列挙したに過ぎない。実際に高等教育を無償化すべきどうかは、上で挙げたような利益がその費用を上回るかどうかにかかっている。*8残念ながら、こうした利益の計算を正確に行うだけの実証研究の蓄積は存在しないため、経済学の実証的な裏付けを持って無償化すべきとも、しないべきとも言い切ることはできない。

 もちろん、これは上で挙げたような議論を全く考慮しなくていいということではない。少なくとも、こういう論点があるので、なかなか結論を断言できないものなのだなとわかることが大切である。*9

 

*1:経済学の専門用語で言うと、「パレート改善の余地が残る」ということ。増えた余剰をどう再分配するかは別の問題。

*2:経済学の専門用語を使って言うと、「市場の失敗」がない限り、政府の介入は正当化されないということだ。

*3:Morettiがこの分野で数多くの論文を書いており、代表例はMoretti (2004)だ。後追いとなった論文が多く、支持する専門家も多いようであるが、Cicconi and Peri (2006)は重要な反論であり、完全に決着したとはいえないように見える。

*4:Lochner and Moretti (2004)

*5:このトピックはたくさんの論文が書かれているが、例としてBrown, Scholz, and Seshadri (2012)

*6:Currie and Moretti (2003)

*7:Moretti (2006)

*8:厳密に言うとこれは必要条件で、高等教育無償化から得られる利益が、実行されていない他の投資機会から得られる利益を上回っている必要がある。

*9:このブログポストでは経済効率上の論点だけを取り上げたが、高等教育へのアクセスの平等性といった経済効率以外の問題も、政策決定上は重要な要素である。