「AI失業」は起こらない

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 人工知能の発達はめざましく、これまでになかったような製品・サービスが生み出される一方、私達の仕事が人工知能によって奪われてしまうのではないかという懸念も抱かれている。オックスフォード大学のフレイとオズボーンの論文によると、アメリカでは次の10-20年の間に47%もの仕事が機械によって置き換えられる可能性があるそうだ。

 人工知能は近年急速に発達した技術であるが、テクノロジーが仕事を奪うという懸念自体は新しいものではない。あのラッダイト運動は200年前のものだし、もう少し新しいものでは1964年にアメリカのジョンソン大統領が諮問委員会を設置し、自動化の進展により雇用が奪われる可能性について検討された。

 今も昔も悲観論者の中にはテクノロジーが仕事を奪い、街には失業者があふれると予言するものが少なくなかったが、果たして実際にはどうなったか。失業率景気変動に応じて上下するものの、長期的な上昇トレンドにはない。就業率でみるとむしろ上昇傾向にある。こうした歴史を振り返ると、テクノロジーのせいで失業者が街にあふれるといった懸念はあまりに極端で、現実的ではなさそうだ。

 しかしテクノロジーの目的の一つが省力化・自動化である以上、人々の仕事には少なからず影響を及ぼすはずである。テクノロジーは一方で仕事を奪い、他方で仕事を生み出す。失業者が街にあふれることはないだろうが、「勝ち組」と「負け組」を作り、人々の労働所得に影響を与えるかもしれない。これまでなされてきた議論はテクノロジーが仕事を奪う側面にばかり注目してきたが、本稿ではテクノロジーが労働市場全体をどう変えうるか、論点を整理する。

3つの主要な論点

 技術革新は産業構造や労働者の就業行動の変化も引き起こすため、「機械が仕事を奪う」と単純に結論付けられない。経済学に詳しい読者のために、あえて専門用語を使い論点を列挙すると、

  1. 技術(資本)と労働は代替的か補完的か
  2. 生産物は価格・所得弾力的か
  3. 労働供給は弾力的か

とまとめられる。*1

技術と労働の補完的な関係

 技術が労働に置きかわる側面ばかりが注目されているが、他方で技術は労働者を助け、労働生産性を向上させる側面も見逃してはならない。

 個人で行うにせよ、チーム・組織で行うにせよ、ほとんどの生産活動は多数の性質の異なる作業を組み合わせて行われる。たとえば研究という生産活動においては分析的・創造的な作業が中心であるが、対人コミュニケーション業務もあるし、単純な事務作業、肉体労働的な作業も伴う。そしてこれらの作業はどれが欠けても円滑な研究の遂行に支障が出るという意味で、相互に補完的である。

 このように作業が相互に補完的である場合、一つの作業の生産性の向上は全体の生産性の向上につながる。単純作業や肉体労働が自動化されると、人は分析的・創造的な作業や対人コミュニケーションにより多くの時間を割くことができるようになる。もちろん単純作業だけが仕事であるような労働者は転職を余儀なくされるかもしれないが、自動化により労働生産性が向上し、賃金が上昇する仕事の存在にも目を向けるのがバランスの取れたものの見方だろう。

技術革新は産業構造を変える

 技術革新は産業構造も変える。生産性向上は所得を増加させるが、増加した所得は最終的には何らかの消費に向けられる。したがって、所得増加に応じて需要が大きく増大する(需要の所得弾力性が大きい)医療・介護などのサービス産業においては、労働需要が増える。

 こうした産業構造の変化には時間がかかるが、歴史的には着実に進んでおり、雇用もそれに応じてシフトしている。ただし、これまで製造業で働いていた人がサービス業に転職するといった形ではなく、新たに就職する若い世代や、いちど労働市場から離れた女性が再び働き始める際に、製造業ではなくサービス業を選ぶといった形で変化が起こるようだ。*2

 また、生産性が向上することで、当該産業の生産物価格が低下する。生産物価格の低下に応じて需要が大きく増大すれば、産業の成長につながり労働需要も増える。もっとも、このシナリオは短期的には正しいものの、長期的には労働需要減少に結びつくことが多いようである。*3

 こうした問題意識から行われた最新の研究*4によると、生産性の向上は自産業の雇用縮小を引き起こすものの、他産業での雇用拡大につながっているようである。

成長産業でも賃金は伸びない可能性

 技術革新は長い時間をかけて産業構造を変化させ、サービス業における雇用も大幅に増加し続けてきた。これは生産性向上により所得が増大し、サービス産業に対する需要が増えた一方、大半のサービス職は対人コミュニケーションを必要とするため自動化により機械に代替されなかったからである。

 こうしたサービス職に対する労働需要は増加したものの、彼らの賃金はあまり上昇していない。これはサービス職の多くが低スキルであり、労働需要が増えるのに合わせて、労働供給も増えたためである。仮にサービス職で必要なスキルが高度で、該当する人材がなかなか見つからないようなものであれば、労働需要が増大しても労働供給は十分に増えず、賃金は上昇しただろう。

人工知能は仕事を奪うか

 ここまでは経済理論上の論点を整理したが、これらは1980年代以降の先進諸国の経験と整合的である。一方で、人工知能はこれまでのコンピューターによる技術革新とは全く性格が異なるから、上のような議論は当てにならないとする向きもあるかもしれない。実はそうした反論自体、歴史的には繰り返されてきたのだが、たしかに人工知能はこれまでの技術とは異なる点がある。

自動化の領域は拡大

  これまでの自動化技術は、何をどうやればうまくいくのかがよくわかっており、その内容が定式化可能な作業に適用されてきた。言い換えれば、作業をプログラムに書き下せるものが自動化の対象とされてきた。

 一方、人工知能は膨大なデータを統計的に処理した結果にもとづいて正解を判断するため、なぜそうなるのかがうまく説明できないような人間の暗黙知に取って代わろうとしている。したがって、従来は自動化の対象とならなかったような領域が自動化の対象になろうとしている。では、人工知能は我々の仕事を奪うのだろうか。

人間の知識を補完

 将来予測は難しいが、私は上で述べた3つの論点は将来を占う上でいずれも有効だと考えている。特に見逃されがちな論点として、人工知能は多くの頭脳労働者と補完的な関係にあり、彼らの生産性を高めるという点を指摘しておく。医師が診断を下し治療方針を決める際に、人工知能は意思決定の大きな助けになるかもしれないが、倫理的な価値判断を伴う意思決定そのものを行うことはないし、患者とのコミュニケーションも医師の重要な業務である。このような点は弁護士、会計士、研究者といった多くの専門職に当てはまるだろう。*5

所得再分配政策・教育の役割が一層重要に

 人工知能のせいで街に失業者があふれるようになるとは考えにくいものの、これまでの技術革新同様、人々の所得を変化させる可能性は高い。一部の高スキル労働者や、技術・資本を所有する資本家階層は大きな富を得るだろう。その結果、所得格差の拡大が進み、所得再分配政策の重要性が今後高まるかもしれない。

 また、自動化されにくい分析的・創造的な作業や対人コミュニケーションに長けた人材を増やしていくための高等教育の役割も高まるだろう。実践的な職業教育の必要性を求める声もあるが、そこで身につけたスキルは技術変化で陳腐化しやすく、人工知能やIT技術に容易にとって代わられかねない。一見遠回りに見えるかもしれないが、学問を学ぶことで論理性・分析力を身に着けておくことの価値は高まり続けるだろう。 *6

(この記事は2017年9月10日に行われた日本経済学会パネル討論「技術革新と労働市場」での講演に基づいている)

*1:この論点整理はAutor (2015)を参考にしている。

*2:Lee and Wolpin (2006)

*3:Bessen (2017)

*4:Autor and Salomons (2017)

*5:喜連川優氏によると、まれにしか起こらない事象の認識・取り扱いも人工知能は苦手とするようだ。人工知能はデータに基づいて判断するが、まれにしか起こらない事象については当然データが不足するためである。

*6:Goldin (2001)の議論を参照。